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鉄道によりシベリアへ通じる東北アジアの交通の枢軸であるハルピンは、中国でもっとも北部に位置する黒龍江省の省都であります。市の総面積は5.31万ku、市は7つの区と13の県(県レベルの市を含む)に分けられ、人口は946万人に達します。街のなかを松花江がゆっくりと流れています。
ハルピンの気候は、大陸性季節風気候に属し、四季がはっきりしており、季節は冬が長く、夏が短いです。もっとも寒い1月の平均気温は零下20.1℃、もっとも暑い7月の平均気温が21.7℃と、東北地方のかなでも冬場はかなり冷え込みます。毎年1月はじめから『兆麟公園』で開催される『氷祭り(冰灯游?会)』は国内外ともに有名で、ハルピンの風物詩として多くの観光客を集めています。
19世紀末まで小さな漁村にすぎなかったハルピンに劇的な変化を生じさせたのが、清朝と帝政ロシアの不平等条約によって開始された『東清鉄道』の建設であります。帝政ロシアの支配の下、人口は急激に増え、ハルピンは近代都市として大きな変貌を遂げました。20世紀初頭には『秋林公司』や『馬迭爾賓館』といった現在も残る著名な欧風建築が数多く建てられ、これらの欧風建築物があることによって、今日のハルピンは『東方のモスクワ(東方莫斯科)』、『東方の小パリ(東方小巴黎)』などと呼ばれています。
日本とハルピンの関係は深いです。ハルピンに日本人が増えたのは、日露戦争が始まった1904年頃です。この頃には日本人の人口が1000人を超えています。1909年にはハルピン駅で伊藤博文が暗殺されるという事件も起きました。『柳条湖事件(九・一八事変)』の翌年1932年には、日本軍がハルピンを武装占拠し、1945年まで事実上日本の支配下に置きました。この間、日本からの移民が大量に流入し、以前から住んでいた中国人との間にさまざまな摩擦が起き、日本軍による弾圧が繰り返されました。
忘れてはならないのが、ハルピン人がビール好きだということです。『ハルピンビール』が今世紀はじめからあることは、中国人の間では有名な話です。都市別にみたビール消費量は、ミュンヘン、モスクワについでハルピンが世界第3位です。中央大街にはパラソルがたくさん立っており、その下で皆おいしそうにビールを飲んでいます。
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